子どもを映画に連れて行くようになってずいぶん経つ。ちょっと前は年に一度行くか行かないかだったのが、今では季節にひとつは見ているのだから子育てとは不思議なものだ。
先日はプリキュアの劇場版映画を見に行った。どちらかといえば下の娘のほうが期待していて、上の男の子の方は反応が薄かったのだが、連れて行ってみたらおもしろいことがあった。
映画は親子の心のずれを描きながらクライマックスに向かっていた。子の命が絶たれるかもしれないからと親は悩みつつもプリキュアのエネルギーを奪おうとする。実は血のつながっていなかったことが明らかになった子はそんな育ての親の行動を望まないと告げる。
そんな話のやり取りがあったとき、ふと気がついた。
男子7.9が目をこすっているのだ。
あれ、と思ってよく見てみたら、うるうるとして泣いているようだ。すぐ隣にいる娘5.8も気がついたがこちらは泣いていない。むしろなぜ兄が泣いているのかが分からないという感じだ。
プリキュアの映画はこれが3度目だが、親泣かせのクライマックスがある。ちゃんとストーリーがあるので、親子の絆とか、お別れのシーンとか感動的な場面があるとついほろりとしてしまう。
しかし、こうした「感情移入」はストーリーの流れを読み取り、また登場人物の感情の機微を理解しなければ成立しない。
下の娘にとってはプリキュアは勧善懲悪のシンプルな物語に映っている。悪い敵がいて、それをプリキュアが倒す。一度プリキュアが負けるシーンがあるが、もう一度戦えば勝てるはず、というくらいのイメージだ。だから「がんばれー」と応援をする。
彼女にとっては「これから戦って、最後は勝つシーンが始まるのに、なぜ泣くんだろう?」という感じだったのではないかと思う。
しかし小2にもなった長男のほうは、クライマックスに至る感動シーンでついもらい泣きしてしまうようになったということになる。
親としては、彼の精神の成長に気がついてちょっと感動してしまった。物語に感情移入して、その盛り上がりで映像に気持ちを重ねているのだ。こんな成長を間近に見ることができて嬉しくないわけがない。
それなりにお金がかかるものの、大画面の映画を何度も連れて行って良かったなあと思う。自分が子どもの頃は年に1、2一度くらいしか連れて行ってもらえなかったので、子どもは多めに連れて行きたいと思っているが、もう元が取れたような気分だ。
情緒が深まってきた理由がもうひとつあるとすれば、おそらく小学校の図書の授業でいろんな本を読んだことも影響しているのだろうと思う。これは親だけが世界を広げるのには限界があって、むしろ学校教育が世界をこじあけてくれたということになる(長男曰く、図書の授業が一番好きなのだとか)。
ところで、下の娘、「私は泣かなかったよ!」と得意げにしているのもかわいいものだ。そこは得意になるところではないのだけれど、たった2歳の差とはいえ彼女も数年後の映画では泣くようになるのだろう。
もしかしたら今年のどこかの映画で泣くのかもしれない。
その日が、ちょっと楽しみである。
